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   <title>直立二足歩行は、水辺への適応？</title>
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   <published>2008-01-03T22:02:08Z</published>
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      昨日（2008年1月3日）16時50分からののNHK番組、「大自然スペシャル―シリーズ赤道・アフリカ」で、興味深い映像を見ることが出来ました。

赤道直下のアフリカ西の果て（カメルーン、或いは赤道ギニア辺りか？）、海岸に熱帯雨林が迫り、森や湿地や草地が点在しているところでのシーンです。
ここでの湿地を「バイ」と呼ぶのだそうですが、このバイに生える草は普通の草地に無い栄養素を含んでいて、様々な動物が集まって来るようです。

この辺に生息している西ローランドゴリラも、通常は木の上を活動領域にしているのだが、時にこの草を求めて、他の動物同様バイに集まる訳です。
西ローランドゴリラは、ここで信じられない行動を取ります。NHKのナレーションを、そのまま紹介しましょう。


「一頭が水の中に入って行きます。なんと直立で歩いています。水の浮力を借りて重い体を、真っ直ぐに、しっかりと支えています。
同じアフリカで人類の祖先は初めて二足歩行をするようになりました。それはこうした状況で生まれたのではないか、そんな想像さえ抱かせる光景です」

「人類誕生アクア説」啓蒙者であるモーガンの主張そのままのナレーションです。
実際に映像では、水の中できれいな直立姿勢を示し、二足で歩行しています。
      元々はサバンナ説・イーストサイドストーリー説の信奉者であった私が、アクア説に宗旨替えしたのは、「ルーシー」以来新たに発見される、より古い年代のヒト化石によって示される事実に、イーストサイドストーリーが耐えられないと言う、言わば消極的・消去法的な理由からでした。
イーストサイドストーリー提唱者であったイヴ・コバンも（多分同じ理由で）、既に自説を撤回しています。

しかし、このような生々しい映像を見る時、単に他説への批判に留まらない、具体的な説得力をアクア説に感じざるを得ません。

水を怖がらず、それと共に直立二足歩行に一定程度習熟しているサルの例として、モーガンはテングザルを挙げています。
しかしヒトにより近いゴリラが、水の中でここまでのキレイな直立歩行姿勢を見せている実映像は、モーガンにより強い確信を持たせるだろうなと、思いながら見たことでした。 
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   <title>類人猿の新種化石発見、学名に日本人名</title>
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   <published>2007-11-14T00:07:29Z</published>
   <updated>2007-11-14T00:08:24Z</updated>
   
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      アフリカ、ケニアで約1000万年前に生息していた類人猿の化石が発見され、『米化学アカデミー紀要』（12日付け）に発表された。
発見したのは京都大学など日本の研究者を含む国際研究グループで、見つかったのは歯が3本付いた下あごの右側の一部、及びバラバラになった11本の歯であり、大型のものと小型のものが有ることから、少なくとも2個体分と見られている。

発見場所はケニアの首都ナイロビから北西へ約300キロメートルのところにある、980万～990万年前の地層。
雌のゴリラかオランウータン程度の大きさで、歯の特徴から堅いものを食べていたと見られている。

これまで見つかっている類人猿化石との比較で、研究グループは、新属・新種の類人猿と判断。
発見場所の地名ナカリと、この地域の地質研究に従事し事故で死亡した、故中山勝弘・島根大学准教授にちなんで、ナカリピテクス・ナカヤマイと命名した。

人類発祥の地アフリカでは最近、東京大学諏訪元教授らによって、ケニアの隣国エチオピアで約1000万年前に生息していたゴリラと見られる類人猿の化石が発見されている。


研究グループ、国松豊・京都大学霊長類研究所准教授の話。
アフリカでは1000万年前頃の類人猿化石が非常に少ないが、今回の発見で当時のアフリカにも多様な類人猿が生息していた可能性が強まった。人類や現世類人猿は、アフリカで進化した類人猿から生まれたことを示唆するものと考えている。
      
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   <title>ゴリラ祖先種化石発見、質問に答えて</title>
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   <published>2007-08-25T16:56:55Z</published>
   <updated>2007-08-25T17:32:18Z</updated>
   
   <summary>&gt;ヒトと他のヒト科との分岐年代が数百万年古くなることが、なぜサバンナ説やイースト...</summary>
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      &gt;ヒトと他のヒト科との分岐年代が数百万年古くなることが、なぜサバンナ説やイーストサイドストーリーに「難題」になるの？

と言う質問が有りました。
以下はその回答、或いは反論です。
      逆にお伺いしますが、いわゆるサバンナ説やイーストサイドストーリーが主張している「ヒト化の契機」はなんでしょうか？

東アフリカを南北に貫く大地溝帯の東側（イーストサイド）にサバンナが広がったのは、330～240万年前頃（「裂ける大地、アフリカ大地溝帯の謎―諏訪兼位著」から）とされています。
イブ・コバンが「イーストサイドストーリー（以下、ストーリー）」を提唱したのは1984年ですが、その後、より古い人骨化石の発見が相次ぎます。

1992年、アルディピテクス・ラミダス（440万年前）、1996年、アルディピテクス・カダッバ（580万年前）、2000年、オロリン・ツゲネンシス（600万年前）等など。
イーストサイドにサバンナが広がる遥か以前に、既に共通祖先との分岐が有ったと言うこと自体、私は「ストーリー」の崩壊を意味すると思うので、前回「アルディピテクス・ラミダス（440～580万年前）化石の発見の頃から辻褄が合わなくなります。」と書いたのですが………、ご理解頂けなかったでしょうか。

更に2002年発見のサヘラントロプス・チャデンシス（トゥマイ）に至っては、その古さ（600～700万年前）と共に、発見された場所が「イーストサイド」から2500キロも離れた中央アフリカのチャドです。
だからこそ提唱者のイブ・コバン博士自身、事実上「ストーリー」を撤回し、「トゥーマイの発見によって………人類の起源については調査する地域を広げ、研究を評価しなおす必要が有る(
NHKスペシャル『人類誕生　最古の化石トゥマイの物語』より）」と述べているのです。

質問者さんが、若しそれでも「ストーリー」が影響を受けず、安泰だと言われるのでしたら、逆にその論拠を聞かせて下さい。


今回の諏訪元博士らによる「ゴリラの祖先化石発見」の意義について言えば、その古い年代と共に、次のようなことが言えるでしょう。

イブ・コパンが「ストーリー」の着想を得たのは、アフリカの動物相分布の偏りだったようです。そのことについて、つい最近（2007/8/25付け）発行された「最初のヒト（アン・ギボンズ著、新書館）」に、丁度手頃な記述が有りますので、要約しながら紹介してみます。

イブ・コパンがその着想を得た1982年当時、それに先立つおよそ20年間の研究者による活発なアフリカ遠征調査によって、東アフリカだけで2000点のヒト科化石、数十万点の動物化石が収集されていました。
しかし、東アフリカではチンパンジー化石もゴリラ化石も、只の一点も見つかっていませんでした。又、現生チンパンジーもゴリラも「イーストサイド」には住んでいません。

逆に当時、300万年前以上前のヒト化石で、「イーストサイド」以外で発見されたものも又、只の一点も有りませんでした。
つまり大地溝帯を境に、ヒトとアフリカ産類人猿の古い祖先との間に、ハッキリとした地理的線引きが出来るだろう、とコパンは思い至った訳です。

当時大地溝帯を中心とした東アフリカの大規模な地殻変動の様子は、地質学の研究で既に分かっていました。
チンパンジーなどの現生類人猿の祖先は、大地溝帯によって隔てられた西側の森林地帯に留まりました。

コパンはこれに新しい着想を付け加え、人類祖先は、以前より乾燥化し開けた環境である大地溝帯の東側、つまり「イーストサイド」に取り残され、それに適応していった、と言うシナリオを書いたのです。

このモデルは、何故チンパンジーとヒトとが遺伝的にかくも近いのかと言う謎、それなのに何故両者の祖先化石が同じ地域で見つからないのか、と言う謎をいとも簡単かつ明快に答えてくれるし、地理的隔離も説明できます。
コパンは、このモデルに「イーストサイドストーリー」と命名し、ニューヨークのアメリカ国立自然史博物館での講演で発表した訳です。

………と、このように記述した後、アン・ギボンズは「最初のヒト」の中で、続けて次のように書いています。
「イースト・サイド・ストーリー説が間違っているとすれば、その誤りを証明するには大地溝帯の東側でアフリカ産類人猿の化石を見つけることが必要になるだろう。もしくは、西側で初期人類化石を見つけること、でもいい。」と。

西側の初期人類は、既にトゥマイと言う形で見つかっています。「最初のヒト」の中でも相当のページ数をトゥマイに費やしています。
そして今回、東側でゴリラの祖先化石が見つかったと言う訳です。

前回書いたように、ドーキンスは「難題をつきつけられることになる」と「祖先の物語 上」で書いていますが、私は、イーストサイドストーリーは破綻したと思っています。
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   <title>ゴリラの祖先？化石発見、ネイチャーに発表。</title>
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   <published>2007-08-23T00:20:06Z</published>
   <updated>2007-08-24T00:11:10Z</updated>
   
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      諏訪元（すわ げん)東京大総合研究博物館教授（古人類学）ら日本とエチオピア研究チームが、約1000万年前の地層から、ゴリラの先祖とされる化石を発見したとのこと。
昨日（8/23)付け、新聞朝刊などメディアで一斉に報道されました。

これが本当なら、単に、古代類人猿の新種が一つ発見されたに留まらない、ヒトの誕生シナリオにも関わる、大きな意義を持つ発見となるだろうと私は思っています。
中で、最もよくまとめてあると思われる、中日新聞の報道を転載しておきます。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007082302043070.html
      （以下その内容の転載）
1000万年前にゴリラの祖先　人間誕生の時期さかのぼる？

ゴリラの祖先とみられる新種の類人猿の化石を、エチオピアにある約1000万年前の地層から発見したと、諏訪元・東京大教授を中心とする日本とエチオピアの国際チームが23日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

　ゴリラの仲間と人類との分岐は従来、ＤＮＡ分析などに基づき古くとも800万年前と推定されていた。それより古いゴリラ類の化石が出土したことで、チンパンジーなど類人猿と人類が最終的に枝分かれした時期も、従来推定より昔にさかのぼる可能性が出てきた。

　チームは昨年、首都アディスアベバの東にあり、人類化石が多数出土しているアファール渓谷の斜面で、地表に露出した類人猿の犬歯一本を発見。今年、数十メートル離れた地点で8本の臼歯を相次いで発見した。


　コンピューター断層撮影などで、歯の象牙質の形状やエナメル質の厚さを分析。植物の茎のような繊維質を食べるのに適した特徴などがゴリラと共通だったことからゴリラの祖先と結論付け、地層名などから「チョローラピテクス・アビシニクス」と名付けた。

◆空白を埋める発見
　アフリカでラミダス猿人など多数の人類化石を発見したティム・ホワイト米カリフォルニア大教授の話
　「非常に重要な発見だ。ゴリラの系統が1000万年前に既に始まっていたことを示し、類人猿が分岐を始めた時期にアフリカで何が起きていたかを明らかにする初の化石で、アフリカの類人猿化石の空白を埋めたと言える。ＤＮＡの研究で推定された分岐の年代を、正しく補正するのに役立つだろう。」
（転載、ここまで）


発見された場所はアフリカ、アファール渓谷の斜面。今までにも多くの人骨化石が出土した地点で、いわば人類のゆりかごとも言われてきた場所です。
諏訪元教授は、大学院生時代から、ティム・ホワイト博士率いる研究チームでアフリカでの化石調査に参加。日本における進化人類学、人類化石ハンターの第一人者と言えるでしょう。ラミダス化石を発見したことでも知られています。


【分岐年代の遡りと人類発祥のメカニズムの見直し】
今回発見されたのは犬歯、臼歯など、幾本かの歯とのことですが、若しこれが本当にゴリラの祖先種に当たるものだとすれば、先ずその一番大きな意義は、従来主に分子進化学の知見によって、約800万年前とされてきた、ゴリラとヒト・チンプなどとの分岐年代が、およそ200万年も遡ることです。
つまり分子時計の針を大幅に巻き戻すことになる訳です。

上記ホワイト博士のコメント通り、分子時計の補正にも関わることで、結果的にヒトとチンプとの分岐年代の見直しにもつながってくることになるでしょう。
更には、ヒトが直立二足歩行を獲得した契機として、伝統的に説明され、そして殆どの人に疑問なく受け入れられてきた従来の「サバンナ説」の真偽にも、直接影響を与える問題にもなってくるでしょう。

「省エネ説」は論外としても、「遠くを見渡す為説」「真昼の直射日光を、幾らかでも避ける為説」「地面からの照り返しから逃れる為説」等は全てサバンナ説を前提としたものです。

しかしそのサバンナ説は、ルーシーなどアウストラロピテクス・アファレンシス（約350～400万年前）の発見辺りから怪しくなり、アルディピテクス・ラミダス（440～580万年前）化石の発見の頃から辻褄が合わなくなります。つまり地質学的にその頃は、そこまでの淘汰圧を及ぼすほどには、未だサバンナが発達していなかったのではないか、と言う訳です。
その為、最近では「サバンナ、森林モザイク説」（総じてイーストサイドストーリー）として、お色直しで説明されることが多いようです。
尤もそうなってくると今度は「地理的隔離」の問題が浮上するのですが………。

その後も、オロリン・トゥゲネンシス（600万年前）、サヘラントロプス・チャデンシス（600～700万年前）と、古い人骨化石の発掘が相次ぎます。
特にサヘラントロプス・チャデンシス（トゥマイ）の発見は決定的でしたね。何しろ発見場所が「サバンナ説」の舞台としてのイーストサイドから2500キロも離れたアフリカ内陸のチャドだった訳ですから。

ドーキンスも「祖先の物語 上」152ページで次のように述べています。
「オロリンとトゥマイが二足歩行だったと言う彼らの発見が若し正しければ、人類の起源に関する筋の通ったどんな見方も難題を突きつけられることになる」………と。
（アクア説については、特に「難題」があるとは、私には思えませんが）

まあ、そう言うことも有ってのことでしょう、オロリンにしてもトゥマイにしても、それをヒトの祖先として認めないと言う見解が一部に有るようです。その理由は他でもない、その生息年代が古すぎると言うことからでしょう。
そしてその一番の論拠として挙げられるのが、分子時計が示す分岐年代との乖離、と言うことなのでしょう。

アラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチが、最初に分子をヒトの分岐に持ち込んだとき、その分岐年代は、480～500万年前と言う結果でした。
その後DNA交雑法など、手法も洗練されて今では600万年前位に遡った分岐年代が定着していたようです。
しかしそれでも、最近相次いで発見された化石の年代との間に乖離が見られていた訳です。

今回の諏訪元博士らの発見は、その辺の補正を迫るものになりそうです。
分子時計の針が全体として200万年も巻き戻されることになれば、オロリンやトゥマイの生息年代と、分子が示す年代とに矛盾はなくなります。
つまり700万年前には、そしてイーストサイドに関係なく、最初のヒトが出現していたことが、無理なく受け入れられることになります。

結果的に「イーストサイドストーリー」と、それを前提にした人類起源のメカニズムの破綻は、ほぼ確定すると、私は思っています。

勿論、諏訪元博士自身、「現代の人類の初期進化の舞台とされるアフリカだが、この時代の類人猿の化石が見つかることは非常に少ない。今後、さらに化石が見つかれば、進化の過程がよりはっきりするだろう（朝日新聞）」と話しているように、未だまだ「確定」とまでは行かないのかも知れませんが。 
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   <title>ブナが枯れる！！</title>
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   <published>2007-08-19T21:48:24Z</published>
   <updated>2007-08-19T21:49:19Z</updated>
   
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      今年の夏は（も）暑い！！
田舎（新潟の魚沼地方）に帰省して、この夏「アレ！」と思ったことがある。
実家の集落の鎮守の裏山に、チョッとしたブナ林が広がっている。ブナ大好きな私としてはその風情を楽しむ為、わざわざそこまで足を伸ばしたことが何回か有る。
今回は履物を用意していなく、マムシやらが怖くて登らなかったが、下から眺めているとその部分だけ何となく葉っぱが無いようだ。幹がむき出しと言う感じ。

そう思っていたら義弟が「今年は山が赤くなっている」と言っていた。
そうなんだよ。至るところ赤く変色している。おそらくブナがやられているようだ。
確かに今年は暑いが、どうもそれだけでなく、深いところで何かが進行しているような不気味さを感じる。

      
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   <title>ヒト進化の道変わる？144万年前の化石発見（朝日新聞の記事から）</title>
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   <published>2007-08-08T21:25:23Z</published>
   <updated>2007-08-11T23:36:12Z</updated>
   
   <summary>朝日新聞、2007/8/9 の記事から アフリカのケニア北西部で、現在の人類（ホ...</summary>
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      <![CDATA[朝日新聞、2007/8/9 の記事から

<blockquote>アフリカのケニア北西部で、現在の人類（ホモ・サピエンス）につながるとされてきたホモ・ハビリスの新たな化石が見つかった。
従来より約20万年新しい144万年前のものと見られる。ホモ・サピエンスの直接の祖先とされるホモ・エレクトスとの共存期間が約50万年に延びることから、研究チームは「ハビリスはエレクトスの祖先ではなく『兄弟分』だったのではないか」としており、人類進化の道筋が変わる可能性もある。</blockquote>]]>
      <![CDATA[<blockquote>ケニアや英国などの国際研究チームが、9日付けの英科学誌ネイチャーに発表する。
チームは00年にケニア北西部のトゥルカナ湖近くで、6本の歯が残った上あごの化石を発見。犬歯や親知らずなどの大きさや形状から、ハビリスのものと結論付けた。

これまでの祖先説では、ハビリスはエレクトスに進化し、約165万年前の化石を最後に消えたとされてきた。
今回の発見でハビリスとエレクトスとは同じアフリカで約50万年間共存していたことになり、共通の祖先から枝分かれした「兄弟分」の可能性が出てきた。


諏訪元・東京大学総合研究博物館教授（人類学）の話
ハビリスとエレクトスの歯の形状は共通点が多く、発見された化石をハビリスと本当に断定できるのだろうか。また、ハビリスとエレクトスの共存期間が約20万年延びただけで、共通の祖先から分かれたとすることにも疑問が残る。</blockquote>]]>
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   <title>山と生活</title>
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   <published>2007-08-08T21:14:55Z</published>
   <updated>2007-08-09T00:12:03Z</updated>
   
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      昔、と言っても10年位前、丹沢やら奥多摩の幾つかの山に登ったことがある。一番の動機は、勿論頂上で飲むおいしいビール。
大体リッター缶を2本担いで登るのだが、最初このビールで大失敗をした。
      山にクーラーボックスなど担ぎ上げる訳には行かないので、前日のうちから冷凍庫で缶ビールを凍らせておき、それを持っていったら、山頂で丁度飲み頃になるんじゃないか、と思ったのだが、これがトンだ大間違い。
一旦凍らせたビールは、それも温まらないように新聞紙などで包んでおいたものは、丹沢程度の低山を登る時間では3割位しか解けていない。

最初に缶を開けた途端、その貴重な解けた部分は、シューっと泡になって全て飛び出してしまって、後には凍ったままのビールのかたまりだけが、缶の中でゴトゴトしているだけ。
このかたまりは、いくら逆さにしようが振ろうが、タクッ、タクッっとしか出てこない。
何の為に、ここまで登ってきたんだ、って悔しがっても既にアフターフェスティバル。

それに懲りて2回目からは、銀色の保冷袋に、スーパーなどで貰う保冷剤をビールと一緒に入れて持っていった。
この保冷袋はNASAの技術が使われているとかで、なかなか優れもの。以降、冷たいビールを山頂で呑む、と言う至福のひと時を過ごすことが出来るようになった。

それはともかく、丹沢や奥多摩には、例えば「馬頭狩り峠」とか、○○道、××追分などと言う、名前の付く道が多い。
勿論それらは今、登山道路になっている訳だが、歩きながら「多分昔はこれらの道はみな、生活道路だったんだろうな」と思ったものだ。

今、自動車に乗っていると、山を大きく迂回して平場の整備された道路を走って行っても、それ程の負担感はない。
或いは、山越えの峠道も自動車用に整備されているし、トンネルも通っている。

しかしつい最近まで、自動車などなくおのれの足だけが頼りだった頃は、わざわざ山を迂回して平場の道を歩いて行くよりも、まっすぐ山を越えて向こう側に行ったほうが、はるかに近いし、早かったのではないだろうか。

私のふるさと、新潟の魚沼には「魚沼スカイライン」と言う、山の峰を縫って15キロに続く観光道路がある。
思うに、この魚沼スカイラインなども、かっては生活道路として人々が行き交っていた道ではなかったか。
塩沢から反対側の津南に行くのに、山を迂回してゆくより山を越えて行った方が早い。それが栃窪峠だったりするのだろうが、こちらから山に登り、峠に出て、峰の縦走路を歩き、向こう側の道を降りる。そんな風景が当たり前に見られたに違いない。

花嫁や行商人、薮入りの小僧さんたち、或いは武士たちが戦の為に、山を行き交ったのだろうと思う。峠には茶店も有ったのかも知れない。
山賊、と言う言葉もあるが、山賊も「お客さん」がなければ成り立たない商売で、まあ何とか商売が成り立つ程度には、お客さんもいたのだろう。
総じて、山は今よりもずーっと賑やかだったし、活気に満ちていたのだろう。縦横に道が張り巡らされていたに違いない。

今、山に杉やヒノキが茂っていても手入れさえされていない。
確かに外材の方が安いかもしれないが、その金は外国に落ち、そして熱帯雨林を消滅させる。
国産材が多少高くても、その金は地元に落ちる。そして地元の商店を潤す。

若し国産材が高くて、庶民が家を建てられないとしたら、その差額を環境保護の為に国が負担してもいい話だ。いずれにしても国内に金は回る。それこそが生きた税金の使い方と言うものだろう。
大工さんも優れた地元の杉や飛騨のヒノキで、腕を振るうことが出来るだろうし、地方の商店街も繁盛すると言うものだ。

効率、効率で、「非効率」なところはどんどん切り捨てられる。
ふるさとは今、サルが跋扈している、とか10年後は消えゆく集落があるなどという話が聞こえてくる。
効率とは？、改革とは？、一部のエクセレントカンパニーだけが潤うものであってはならないだろう。

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   <title>「ヒトの直立二足歩行は、省エネの為」批判</title>
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   <published>2007-08-08T08:03:18Z</published>
   <updated>2007-08-12T06:40:02Z</updated>
   
   <summary>発端となった記事と紹介されている実験 http://www.cnn.co.jp/...</summary>
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      <![CDATA[発端となった記事と紹介されている実験
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200707180020.html

<blockquote>ワシントン──
ヒトの特徴である「二足歩行」が進化したきっかけが、「エネルギー節約」だという説を裏付ける実験結果を、米国の研究者が１７日、米科学アカデミー紀要（ＰＮＡＳ）に発表した。ヒトの祖先が二足歩行を始め、ヒトへと進化した過程に、エネルギー消費という生化学的な面や、歩き方という解剖学的な面が強く関与していることを示唆する研究だとして、注目されている。 

米ワシントン大学とアリゾナ大学、カリフォルニア大学デイビス校の研究者らは、遺伝的にヒトに近いチンパンジー５頭に、酸素吸入量などを調べる機器を装着し、トレッドミルの上で歩かせ、エネルギー消費量を測定した。 

その結果、二足歩行時と四足歩行時における消費エネルギー量について、個体差が非常に大きなことが判明した。 

ある個体は、二足歩行時の方が四足歩行時よりも、より少ないエネルギーで済んだが、ある個体では二足歩行時と四足歩行時で、消費エネルギー量はほぼ同じだった。また、ある個体では、二足歩行の方が四足歩行よりも、より大きなエネルギーを必要としていた。 

一方、ヒトにも同様の実験を行ったところ、ヒトでは二足歩行時の消費エネルギー量が、四足歩行のチンパンジーの約４分の１と、二足歩行の方が効率がよかった。 

この結果から、ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、より広範囲にエサを探すことが可能となり、繁殖機会が増えたことから、二足歩行する個体が増えた。そのため、二足歩行をする個体群と、四足歩行の個体群が別れて、別の種になったと考えられるという。 

研究を行ったアリゾナ大学のデイビッド・レイチレン人類学准教授は、「個体差が非常に大きなことに驚いた。進化が働く上で、個体差があることは最低条件。個体差がなければ、進化は生まれない」と話している。</blockquote>


………上記記事への反論を中心に。]]>
      【省エネ説と目的論】

上記の記事が紹介している実験内容は、タイトルからしても「ヒトの二足歩行は、『エネルギー節約』による進化と」となっているように、「省エネ説」を前提としていることは明らかであり、やはり省エネ説を前提とした実験やその解釈に、殆ど意義を感じません。


直立二足歩行の契機として、今まで幾つかの説が主張されて来ました。例えば、「遠くを見渡す為説」「威嚇説」「食料を抱えて巣に運ぶ為説」「真昼の直射日光を、幾らかでも避ける為説」「地面からの照り返しから逃れる為説」等など………。

これらの主張はいずれもサバンナ説を前提としたものですが、それぞれ弱点を抱えており、今では全て反論が用意されています。
しかしこれらの全ての説と比較してさえ、「省エネ説」は致命的な矛盾を抱えています。

他の説はどれも環境との相互関係で考えられた説です。最初からその目的が達成されている必要は有りません。直立二足歩行に慣れるに従い適応度を高めて行けば良いのであって、それで矛盾は有りません。
しかし省エネ説だけはそう言う訳に行きません。

省エネ説は、いわば歩行方法そのものの問題です。
この説をを採る限り、「最初の一歩」から省エネが達成されなくてはなりません。そうでなければ結局「将来の目的」論に陥ってしまうからです。

歩行方法を切り替えたとして、前より少しでも適応的でなかったら（この場合、省エネでなかったら）、新しい歩行方法が自然選択に掛かることは有りません。自然選択は「将来、若しかしたら得られる利益」など拾ってくれませんから。
そして新しく踏み出した第一歩が、数千万年慣れ親しんだ歩行方法よりも省エネであるなどと言うことは、現実には絶対に有り得ません。

例の記事の「ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、」と言う前提そのものが、頭の中だけで考えられた「空想物語」なのです。

ヒトは現実に四足から直立二足歩行に移行したし、私は同意できないが、それが木の枝の上で進化したのかも知れません。しかしその契機に「省エネ」を持ち出すのは、そもそも論理矛盾だと思う訳です。


【直立二足歩行と個体差】

現生人類の直立二足歩行は、チンプなど、他の類人猿が時に見せる直立姿勢と比べて省エネです。その根拠は主に骨格に見ることが出来ます。

「この結果から、ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、より広範囲にエサを探すことが可能となり、繁殖機会が増えたことから、二足歩行する個体が増えた。そのため、二足歩行をする個体群と、四足歩行の個体群が別れて、別の種になったと考えられるという。 」

などと言う空想物語が、現実には絶対に有り得ないことを示す為、あえてスケッチしてみます。
先ず誰もが検証可能な、現世人類と現世チンパンジーとの比較から。

人間が直立したとき、股関節と膝関節が180度に伸び、その上にS字状に湾曲した背骨が、全体としては垂直に立ち、その線上に重い脳を格納した頭が乗っています。
身体の軸が重心線と一致して垂直一直線に通っています。
重心が安定しており、直立姿勢を保つ為に殆どエネルギーを消費せずに済みます。この姿勢以外に重い頭を支え続けるのは困難でしょう。

頭骨にも顕著な特徴が見られ、大後頭孔（頭蓋孔と脊柱管をつなぐ孔、つまりは頭と脊髄が繋がるところ）は下に水平に開きます。
この為、直立したとき顔は水平に位置し、視線も当然真っ直ぐ前方を向きます。

（サヘラントロプス・チャデンシス（トゥーマイ）の頭骨が発見され、仮に足や骨盤の化石が見つからなくても、その大後頭孔の位置と向きだけで、直立二足歩行に踏み出した種であることが、確信を持って言える訳です。）

この状態から交互に足を踏み出して歩き始めるのを、直立二足歩行と言う訳です。
正面から見た場合も、骨盤に繋がる大腿骨は内側に寄っていて、歩行に際しても重心が左右に移動することが極めて少なく、ここでもエネルギー消費が少ない。

チンプの二足姿勢は、股関節、膝関節が前後に曲がったままで、上体も前傾しています。人間のように骨格が直立の心棒になっていません。背骨も丸く湾曲しています。
言わば若干前かがみの中腰状態で、この体勢で立ち続けるには、重力に抗して常に筋肉で支えている必要が有り、立っていること自体に大きなエネルギーを必要とします。
正面から見ても、膝が外側に離れてO脚状になっており、歩行に際して左右への重心移動が大きく、体を大きく揺らしながら歩くことになります。

動物にとってロコモーションは最も基本的な行動様式であり、その種特有の進化の歴史を反映しています。遺伝子DNAにコードされた身体のつくり、特に骨格に厳密に依存している訳です。
個体差は当然有るにしても、この種特有の枠を超えての「差」など有り得ません。若しそんな差・変異が有ったとしたら、それは新たな種の誕生です。

地球上にどれ程のチンプ、ボノボ、ゴリラ、ニホンザル、その他各種サルたちがいるのか承知していませんが、基本的な移動方法として直立二足歩行を選択した個体など、現実には只の一匹も観察されていません。
逆に、60億の人間の中で、四足歩行を恒常的な移動方法として選択した個人も又、只の一人もいません（二足歩行に傷害を持っている人は別として）。

この事情は、それぞれの化石人類、或いはチンプなどとの共通祖先を見たとき、より顕著でしょう。生物は分岐を遡れば遡るほど、種としての行動様式は一様化します。
700万年前の共通祖先であったサルの中で、二足歩行の方がそれまでの四足よりエネルギー消費が少なかったなどと言う、特異な個体は絶対に居なかった筈です。


件の実験で、色々な「結果」が取りざたされていますが、仮にどんな結果が出たとしても、それは環境から切り離されたたった５頭の、それも短時間の、一回限りの結果に過ぎません。

そしてこの実験結果で、「ヒトの二足歩行の消費エネルギー量が、四足歩行のチンパンジーの約４分の１と、二足歩行の方が効率がよかった。」 と有りますが、４分の１かどうかは別として、こんなのは当たり前の話じゃないですか。
チンプの活動舞台はどちらかと言えば樹上で、平場での移動方法は主にナックル歩行と言う、いわば妥協の産物です。こんな比較のどこに意味が有ると言うのでしょうか。

同じ比較をするなら、サバンナモンキーなどの四足歩行と比較するべきです。私は高い代償を払ってまでおつりが来るほど、ヒトの二足歩行が省エネの点で有意な違いを見せるとは思えません。


【前適応とオッカムの剃刀】

前適応に関して意見を頂いています。反論も含めて述べておきます。

&gt;&gt;それから、これも繰り返しになりますが、それ程メリットのあることなら、常に飢餓と隣り合わせの野生のヒヒやパタスモンキーで、何故発達しなかったのか。

&gt;彼らには前適応が起こらなかったからです。
彼らはブラキエーションを発達させませんでした。
そしておそらくは腕の関節の関係でしょう、手を補助的に使う二足歩行も発達しませんでした。

ホントですか？
チンプ、オランウータン系列の共通祖先は、樹上生活の中で前適応を発達させていた為、サバンナに出たヒトは直立二足歩行を、最初の一歩から省エネで歩き始めることが出来たのに、ヒヒやパタスモンキーなど、同じくサバンナに出たサル達の祖先は、森の中で樹上生活をしていたとき、揃いもそろって前適応を一切発達させず、その為サバンナと言う同じ環境で有りながら、ヒヒ達には直立二足歩行の萌芽さえ見られない！！！

俄かには信じられないことです。それほど前適応って、強力な切り札なんですか？

それにブラキエーションは、背骨に掛かる負荷が地上での直立姿勢と対極になり、前適応とはなりえない、と言う説も有ります。
しかし、まあいいです。ここではより基本的な考え方について、私の意見を述べてみます。

私は、「いくら前適応を発達させていたとしても、本行動そのものの必要性、移行への必然性が無いとき、前適応としての意味は全く成さない訳で、私としては前適応と本行動とを、同列に扱うことには反対です。」と言う意見です。

進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。

ヒトの祖先に、直立二足歩行を促す突然変異が有ったとしたら、それはヒヒやパタスモンキーその他サバンナに住む霊長類の祖先にも、おそらく同じ頻度で起こった筈だと私は考えます。突然変異はランダムだからです。
にも関わらず、ヒトとこれら近縁種の間で全く違った形質や行動が発達したとしたら、私は自然選択、つまり淘汰圧が違っていたと判断します。一言で言えばおかれた環境が違った、と見ます。

ある現象を説明するとき、なるべく基礎的、普遍的な要因で説明しようとするのが、「オッカムの剃刀」なんじゃないですか？
そして基礎的、普遍的な要因で解釈できるとき、わざわざ前適応なんて副次的な要因を持ち出さざるを得ない「反論」って、説得力に欠けるんじゃないですか？

しかも、その同じ前適応の成果で、「エネルギー効率の点で恩恵を受けるに充分なほど二足歩行に習熟している…」チンパンジーが、二足歩行に移行しない理由を、
&gt;エネルギー効率の良さが（デメリットを覆すほど）有利にならない環境に暮らしているからだと説明できます。

…と、今度は環境に求めている。
副次的な要因で説明しようとすると、どうしても「ご都合主義」になりがちだと思う「今日この頃」です。 
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   <title>朝日新聞の支離滅裂</title>
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   <published>2007-07-26T21:33:55Z</published>
   <updated>2007-07-26T21:40:13Z</updated>
   
   <summary>25日付け朝日新聞社説に、「憲法問題、白紙委任しないために」として、大要次のよう...</summary>
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      25日付け朝日新聞社説に、「憲法問題、白紙委任しないために」として、大要次のようなことが書いてある。



今年初め、安倍総理は「憲法改正」を参院選の争点に掲げていたが、今全くおざなりの姿勢だ。
替わりに社保庁改革や公務員天下り規制を、「戦後レジームからの脱却」と訴えて選挙を戦っているが、その態度には驚くばかりだ。

争点に挙げていないのは民主党も同じだ。
それは同じ党内に全く立場の違う議員を抱えていて、統一した方針を打ち出せない為だ。

しかしいずれにしても今回選出される議員が、憲法問題に関わることになる訳だから、有権者はその点も考慮して選択すべきだ。



…と、まあこう言った主張だ。
ところが………、
      同じ朝日の次のページには、「『安倍政治』審判は」とする、編集員の座談会として、この自民党安倍と民主党小沢の二人だけ、大々的に取り上げて、他の共産党や社民党はまるで存在しないかの如しだ。

社説と編集委員の言っていることは、まるで反対じゃないか。
片方では憲法と言う国の根幹に関わる問題で、両党とも主張がおざなりだから、有権者は良く考えろ、と言っておきながら、編集委員会ではその違いの無い両党しか取り上げない。しかもそれが同じ日付の同じ朝日新聞だ。

「共産党や社民党は『蚊帳の外』扱い」は、系列のテレビ朝日でも一貫している。特に田原総一郎は露骨だ。
最初から「反共」を標榜しているサンケイなどと比べても、ある意味悪質だな、公平を装っている分。

いや、これはNHKを含む全てのマスコミ共通の現象だ。

今まで、新自由クラブ、日本新党、自由党………、と、もう何回も期待を掛けてはその都度裏切られてきているのに。
そして新しいところでは、小泉郵政劇場選挙で、マスコミは反省した筈なのに。

もっと深いところでの分析や、権力批判の姿勢を、今のマスコミに求めることは所詮無理なことか。 
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   <title>感性と理性、弁証法の欠如</title>
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   <published>2007-07-03T21:54:46Z</published>
   <updated>2007-07-08T09:14:19Z</updated>
   
   <summary>水の中に箸を斜めに入れれば水面を境に折れ曲がって見えます。 これは錯覚（錯視）で...</summary>
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      水の中に箸を斜めに入れれば水面を境に折れ曲がって見えます。
これは錯覚（錯視）でもなければマジックでもなく、ましてや妄想でも有りません。それが正当な感覚であり、100人いれば100人そのように見るでしょう。
      しかし箸に触って撫でてみればどこも折れていないと感じられます。

前段は視覚による感性的認識、後段は触覚による感性的認識（人間の認識は必ずことばが介在するから、純粋な感性的認識は無いと言われる）。
どちらも同じ感覚同士の認識であって、この場合どちらの感覚を頼りにして良いのか、これだけでは判断出来ません。

しかし箸の角度を変えれば折れ曲がる角度も変わってくるし、水に入れる深さを変えれば折れ曲がる位置も連続的に変わってきます。
箸を水から出すと、箸は真っ直ぐで折れた痕跡も見当たりません。

箸のような硬いものが、角度や位置を変えて連続的に折れたり、一旦折れたものが修復することは、通常有り得ない、と言うことを過去の膨大な経験を元に演繹し、視覚による認識が誤で、触覚による認識が真だと判断したとすれば、それは感覚を超えた理性的認識になる訳です。理屈を言えば。

タバコが硬貨のような硬いものを通過する筈が無い、と言う理性を、一般的な現代人は既に身に付けていて、だからこそ手品として楽しめるのでしょう。
しかしこれをかっての未開の部族や、遠い過去の時代にやって見せたら、いっぺんでシャーマンになれること請け合いです。

いわゆる超常現象や超能力を、それだけで何の疑問も無く信じる人と、他との連関の中で「そう言うことは有り得ない」と判断して「何か裏が有る筈だ」と問題意識を持てる人の差は、理性の差でも有るんでしょうね。

今そう言う「全体の連関の中で見る」と言うことが欠けているような気がします。
つまり、弁証法の欠如です。
その典型を、古い話で恐縮ですが旧オウムの、例えば上祐史浩に見ることが出来ます。

上祐の略歴を見ると、早稲田大学大学院理工学研究科を経て、宇宙開発事業団に就職します。それこそニュートンの万有引力の法則について、誰よりも熟知している筈です。
それが麻原の「空中浮揚」にコロリと参っちゃったらしい訳で、だとすれば彼の中で、知識や経験や感覚が相互に連関せず、バラバラだったと言うことなんでしょう。

科学は本来唯物論的立場に立脚したものです。
しかし「連関との欠如」つまり弁証法の欠如は、上祐を最悪の観念論的立場に追いやりました。

これだけ科学技術が溢れている現在、占いやカルトがなお大きな顔で同居しています。霊感商法などの被害者が後を絶ちません。
その大きな背景としてそう言う、連関の欠如、全体的把握の欠如、つまりは弁証法の欠如が有るのでしょう。つまり個々の科学的知識と生き方が連携していないのです。
根底に、目先の細分化された課題に集中的に適応できる、そして余り余計なことを考えず従順に従う、企業に都合のよい人づくり、教育が有るのでしょう。

勿論、視聴率の為「霊媒師」等を出演させ、その提灯持ちをしているマスコミも責任が有ります。

サイト散策で思ったこと。
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   <title>何なんだこの露骨さは！！</title>
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   <published>2007-07-01T15:33:04Z</published>
   <updated>2007-07-04T00:55:08Z</updated>
   
   <summary>7月1日深夜から2日にかけて、NHKで自民党の安倍晋三と民主党の小沢一郎の「党首...</summary>
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      7月1日深夜から2日にかけて、NHKで自民党の安倍晋三と民主党の小沢一郎の「党首討論会」が、1時間半に渡って繰り広げられた。
まるで日本にはこの二つの政党しか無いかのようだ。それも参議院選挙が1ヶ月に迫った今のタイミングで。

      NHKを挙げて自民と民主、２大政党の提灯持ちをしている。
不偏不党、公平を最も尊重しなければならない筈のマスコミの、それも公共放送を任じているNHKが、これほど露骨で偏った放送を流すとは。


NHKは安倍絡みでは従軍慰安婦を取り扱った番組の改竄で前科がある。
それを散々批判され、視聴料不払いの一つの原因にもなったと言うのに。

もともと自民と民主に基本的な路線の違いは無い。
それをあたかも二大対立軸のように描き出す報道は、他の政党の無視と併せ、二重の誤解を国民に与える。

安倍も小沢なら組みし易しとみて積極的に応じたのだろう。或いは自分の方から申し込んだか。
案の定、番組は安倍の宣伝の場となった。小沢は逆に安倍に突っ込まれてかたなしだった。
そんなことは始めから分かっていることだ。
支持率最低に落ち込んだ安倍が、「競争相手」の民主党に対し、すっかり優位を演出した形だった。

ここに、例えば共産党の志位がいたら、或いは社民党の福島がいたら、全然違った展開、雰囲気になったことだろう。

私は自民は嫌いだし民主は頼るに足りないと思っている。
しかし政党は少なくとも自分たちの主張を掲げている。仮にそれが嘘であっても、或いは公約違反をしても、いずれにしても選挙の洗礼を受けている。どんな悪政をしようとも結局はそれを選挙で選んだ国民にも責任がある。
「国民はそのレベル以上の政府を持てない」。

しかしマスコミは違う。
公共放送であるNHKが、公平を装いながら恣意的な報道をする権利は一切無い。
この傾向はNHKだけに留まらない。公平を装いながらいつも権力に擦り寄るマスコミ、そして評論家。
田原総一郎なども言論界の風上にも置けない男だが、こう言う手合いが選挙と言う国民の審判を受けないまま、高みから電波を通して権力に擦り寄った説教をする。
田原はやたらに討論に横槍を入れる。それもあたかも中立的な司会者づらをしながらだ。ルール違反も甚だしい。
丁度相撲の行司が、片方の力士の後押しをして相手の足をすくうみたいなものだ。

権力に対する監視、批判と言う矜持を、マスコミはすっかり投げ捨てている。
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   <title>ブログ再開</title>
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   <published>2007-06-30T02:17:41Z</published>
   <updated>2007-06-30T04:40:35Z</updated>
   
   <summary>ブログを再開した。 MOVABLE TYPEをダウンロードして構築。 一回ではな...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.y-ok.com/">
      <![CDATA[ブログを再開した。

<a href="http://www.sixapart.jp/movabletype/mt3/">MOVABLE TYPE</a>をダウンロードして構築。
一回ではなかなか勝手が掴めない。
少々てこづったが何とかUPした。

問題は中身だが………、]]>
      
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