親の責任と「自己責任」

| コメント(2) | トラックバック(0)

某掲示板で、大要「いじめが起き、いじめられた側が自殺に追い込まれることが有るが、それは全ていじめた子供の親の責任になる。或いは自殺を思いとどまれなかった子供を育てた親の責任でもある」旨の書き込みが有った。
それに対する反論と言うか何と言うか………。

おそらくSMさんは、最近の「モンスターペアレント」などを念頭に置き、本来もっと親や本人が責任を負うべきところを、なんでも学校や先生、或いは社会のせいにする風潮について、自戒も込めての書き込みだったんでしょう。
色々断定的な言い回しやオールオアナッシング的表現で、突っ込みどころを広げてしまった点は有るにしても、私はそう思いながら読んでいました。

又事実、子供(未成年)が事件を起こした場合、結果としてその(民事的)責任を親は免れない訳だし、被害者の側に立った時、全ての責任を本人と親に負わせたくなるのも心情でしょう。
それを理解したうえでしかし、SMさんの主張を延長して行った時、私はそこに非常に危険なものを感じざるを得ないのです。それは小泉政権の時、一世を風靡した「自己責任論」です。

派遣やアルバイトで首を切られホームレスになるのも、そもそも本人がそう言う働き方を選んだ自己責任なんだと、金美齢や派遣会社ザ・アールの奥谷禮子辺りが、TVを通して声高に叫んでいたものです。

でも今の世、ホームレスに転落するかしないかなんて、言わば紙一重のところが有ります。そして一旦レールから外れた時、元に復帰するのがこれ又至難の業であるのも事実です。
10年に渡って年間3万人(一日100人弱)を超す自殺者を、「自己責任」で片づけて良い筈が有りません。
年功序列・終身雇用がいいか悪いかは取りあえず置くとして、「能力別評価主義」が、一歩間違えれば同じ職場内での、足の引っ張り合いになり兼ねないのも事実です。


私はそうした「大人の世界」が、余裕が無くなり、連帯感の無い殺伐とした状態になっている時、子供の世界だけ、穏やかで友情に満ち溢れた思いやりの世界で居られる筈が無いと思っています。
親の経済状況で進学を諦めざるを得なかったり、卒業しても職が無いなんて時代であればなおさらのことです。
国、地方合わせて800兆円の借金、地球温暖化など、将来への漠然とした閉塞感も有るかも知れません。

いじめる側に立つにしろ、いじめられる側になるにしろ、それも又紙一重の場合が多いようですね。何時立場が逆転するか分からない不安で、不本意ながらいじめに加担している場合も多い筈です。

いじめは確かに悪いことだし、それが原因で自殺に追い込まれた側からすれば絶対に許せないことでは有るにしても、私はいじめる側も広い意味で「被害者」である場合が有る、と思っています。
少なくともそれを全部、本人と親の責任だけに帰着させて、仮に排除しても、それでいじめが無くなるとは思えません。

秋葉原での通り魔事件を、どんな理由が有ろうとも免罪することは出来ません。同じ状況下でもあんなことをしない人が圧倒的な訳ですから。
ただそれも全て「個人の問題」で片づけてしまえば、又どこかで人を替えて「誰でもよかった」と言うことになりかねません。


ホームレスにしろ年間3万人を超す自殺者にしろ、或いはいじめにしろ、全てを「自己責任」にしてしまえば、そうした社会を作って来た政治や、派遣で人をモノ扱いに使って(派遣は人件費扱いで無く材料費扱い)利益を挙げて来た企業にとっては都合の良いことでしょう。

SMさんが、仮に自戒を込めての善意からの発言であったとしても、全てを当人とその親の責任に帰着させることは(実際に責任を取らされることは事実)、この「自己責任論」を、一番弱い立場の側から認めてしまうことになると思う訳です。
「法律はおごそかな平等性を持って、金持ちも貧乏人も等しく、橋の下で寝ることを禁ず」の言葉通り、そもそも最初から「自己責任」の世界からは回避出来ている人達が、押し付けて来た価値観だと私は思っていますから。

誤解の無いように言っておきますが、「自己責任」を全て放棄せよ、と言うことでは有りません。全てを「自己責任」で考えても本当の解決にはならないだろう、と言うことです。


この掲示板の趣旨に沿って「自己責任論」を考えた時、私は「社会ダーウィニズム」の一つの表れだと思っています。

さすがに小泉も竹中も奥谷禮子も、ヘンリー・フォードのように「この世が弱肉強食の世界で有るのは、生物界の真理である。従って、つぶれる会社を救ってやる必要もないし、適者適存に負けた貧乏人を救済する必要もない(『進化と人間行動』長谷川寿一・長谷川真理子、11ページ)」とは、今時言えません。
……でも、考えてみると同じことなんじゃないですかね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://y-ok.com/mt-tb.cgi/121

コメント(2)

雄さん、こんばんわ。
人間と他の動物との違いなど雄さんの諸説色々読んでまいりました。
初めてコメントします。
自分は人間こそは、弱肉強食の論理を打ち破れる素質があると今でも
信じています。「社会ダーウィニズム」・・・人間も所詮動物・・。
この考えは、何か大きな、人間としての偉大さの損失を思わせます。
人間の獣化を肯定する刹那さが社会に蔓延していて、それを肯定する
人々自身が「獣になんかなりたくてなってる訳じゃない!」って悲痛な
叫びを発しているようにも感じます。

人間が「人間らしさ」を感じるときに初めて「喜び」や「感動」が
産まれるのではないかと思います。 

ここは良いサイトですね。 ブックマークしました。

>ここは良いサイトですね。 ブックマークしました。

いやあ、有難うございます。
どちらかと言うと、MOVABLE TYPE でのサイト作りをおもな目的で作ったもので、コメントやお褒めの言葉を貰えるとは思っていませんでした。更新もしていませんしね。

ところでご存じかも知れませんが………、
http://6609.teacup.com/natrom/bbs
こちらで「進化論論争」をしています。若しご興味が有りましたら。

コメントする

このブログ記事について

このページは、が2010年4月 5日 09:20に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「国松警察庁長官(当時)狙撃事件、時効」です。

次のブログ記事は「親父」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

Powered by Movable Type 5.01