人は高みで転ぶ―小沢一郎の危うさ

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小沢一郎の専横さが目に障る。
民主党は、今回の衆院選で史上最大の308議席を獲得し、その幹事長として小沢は事実上鳩山民主党を牛耳っている。
鳩山首相を"二人羽織"で後ろから操り、宮内庁長官を恫喝しながら天皇の会見慣例も破り、内閣法制局の見解を国会から締め出し自身の解釈で通そうとする。
小沢にとって自分がやろうとして出来ないことは無さそうに見える。今や権力の頂点、と言ったところだろう。

小沢が得意の絶頂に居た時が、過去にもう一度ある。
1991年当時、経世会の会長代行だった頃の、海部の後継総裁を争った宮沢喜一・渡辺美智雄・三塚博を自分の個人事務所に呼びつけたとされる、いわゆる「小沢面接」の時だ。
今、その時と比べてさえ小沢の権力は強大であるかのように見える。

しかし人は自分の一番得意な分野で、それもその絶頂期に転びやすい。
小沢が分かっていないことが、或いは「相も変わらずいまだに分かろうとしないこと」が一つだけ有る。それは民意、つまり社会を支えている、数から言えばこれこそ圧倒的多数である一般庶民の意思と力だ。

小沢をキーワード的に言えば、「数は力」「権力闘争」と言ったところだろう。何時もそうだ。確かに選挙は数を争うものだし、その結果の権力では有る。
しかしそれはあくまでも"民意"の支えが有ってこその数だ。民意を失った時、表面上は圧倒的な議員の「数」に裏打ちされているかに見えた「権力」が、如何に脆いものかは、皮肉にも今回小沢が指揮した総選挙の結果に、絵に描いたように証明された。

4年前、「郵政選挙」で小泉に踊った有権者は、自民党に300余の圧倒的多数の議席を与えた。自民党はわが世の春を謳い、首相を3人も替えながら公明党とともに好き放題のことをやって来た。
その結果が今回の総選挙で有って、民意に逆らった「数」の脆さを劇的に証明した。

しかもそれによって今回、国民は自分たちが選択すれば政治を替えられることを学習した。
今の民主党の300余の議席とて、民意を失った時の危うさは、小泉郵政選挙で得た300議席と比較しても格段に脆い。
事実有権者は今の「子鳩政権」の権力二重構造を、非常に危険視している。内閣支持率急落の一因はその辺にも有るのだろう。

その辺が小沢には一向に見えていないらしい。
小沢にとって首相など、単なる持ち駒の一つに過ぎないようだ。鳩山でこけたら菅でも岡田でも、すげ替えればそれでいいようだ。実際に年明け、国会審議が始まれば若しかして鳩山政権は行き詰まるかも知れない。その公算は大きい。

小沢自身が総理大臣になることは出来ないだろう。彼は総理の座は務まらない。
民主党の党首時代、あれ程党首討論から逃げ回っていた小沢に、予算委員会の審議が耐えられる筈が無い。
そもそも小沢の頭の中に、「数」「権力」は有っても、国民への説得、説明責任等と言うものは爪の先ほども無い。

自らの投票行為によって政権を替えたと言う経験をした有権者・国民は、今、政治の中身を凝視している。
政権が自らの望みと乖離したと思った時、簡単に愛想を尽かすのは今回の選挙で実証済みだ。

総理大臣の首はすげ替えることが出来るかもしれないが、民主党政権そのものを壊すことになるのは、他ならぬ小沢一郎の「説明無き権力」だろう。

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このページは、が2009年12月24日 06:41に書いたブログ記事です。

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