« 何なんだこの露骨さは!! | メイン | 朝日新聞の支離滅裂 »

感性と理性、弁証法の欠如

水の中に箸を斜めに入れれば水面を境に折れ曲がって見えます。
これは錯覚(錯視)でもなければマジックでもなく、ましてや妄想でも有りません。それが正当な感覚であり、100人いれば100人そのように見るでしょう。

しかし箸に触って撫でてみればどこも折れていないと感じられます。

前段は視覚による感性的認識、後段は触覚による感性的認識(人間の認識は必ずことばが介在するから、純粋な感性的認識は無いと言われる)。
どちらも同じ感覚同士の認識であって、この場合どちらの感覚を頼りにして良いのか、これだけでは判断出来ません。

しかし箸の角度を変えれば折れ曲がる角度も変わってくるし、水に入れる深さを変えれば折れ曲がる位置も連続的に変わってきます。
箸を水から出すと、箸は真っ直ぐで折れた痕跡も見当たりません。

箸のような硬いものが、角度や位置を変えて連続的に折れたり、一旦折れたものが修復することは、通常有り得ない、と言うことを過去の膨大な経験を元に演繹し、視覚による認識が誤で、触覚による認識が真だと判断したとすれば、それは感覚を超えた理性的認識になる訳です。理屈を言えば。

タバコが硬貨のような硬いものを通過する筈が無い、と言う理性を、一般的な現代人は既に身に付けていて、だからこそ手品として楽しめるのでしょう。
しかしこれをかっての未開の部族や、遠い過去の時代にやって見せたら、いっぺんでシャーマンになれること請け合いです。

いわゆる超常現象や超能力を、それだけで何の疑問も無く信じる人と、他との連関の中で「そう言うことは有り得ない」と判断して「何か裏が有る筈だ」と問題意識を持てる人の差は、理性の差でも有るんでしょうね。

今そう言う「全体の連関の中で見る」と言うことが欠けているような気がします。
つまり、弁証法の欠如です。
その典型を、古い話で恐縮ですが旧オウムの、例えば上祐史浩に見ることが出来ます。

上祐の略歴を見ると、早稲田大学大学院理工学研究科を経て、宇宙開発事業団に就職します。それこそニュートンの万有引力の法則について、誰よりも熟知している筈です。
それが麻原の「空中浮揚」にコロリと参っちゃったらしい訳で、だとすれば彼の中で、知識や経験や感覚が相互に連関せず、バラバラだったと言うことなんでしょう。

科学は本来唯物論的立場に立脚したものです。
しかし「連関との欠如」つまり弁証法の欠如は、上祐を最悪の観念論的立場に追いやりました。

これだけ科学技術が溢れている現在、占いやカルトがなお大きな顔で同居しています。霊感商法などの被害者が後を絶ちません。
その大きな背景としてそう言う、連関の欠如、全体的把握の欠如、つまりは弁証法の欠如が有るのでしょう。つまり個々の科学的知識と生き方が連携していないのです。
根底に、目先の細分化された課題に集中的に適応できる、そして余り余計なことを考えず従順に従う、企業に都合のよい人づくり、教育が有るのでしょう。

勿論、視聴率の為「霊媒師」等を出演させ、その提灯持ちをしているマスコミも責任が有ります。

サイト散策で思ったこと。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.y-ok.com/mt-tb.cgi/4

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年07月04日 06:54に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「何なんだこの露骨さは!!」です。

次の投稿は「朝日新聞の支離滅裂」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35