2004年1月アーカイブ

■ 土台への反作用に見る明治維新

土台に対する上部構造の反作用と言うか、上部構造による土台の形成とも言うべき例を、明治維新の日本に見ることが出来ます。

■ 日本の封建制の特質とそれを受け継いだ明治維新

徳川将軍を頂点とする幕藩体制は、ずっと以前からすでに存在していた封建的生産関係を土台として、その上にそそり立っている上部構造でした。この上部構造が明治維新によって崩壊し、明治政府という新しい政治的上部構造にとって変わられた訳です。
では、この新しい上部構造がよって立つ経済的土台はなんだったのかと言うことですが、資本主義的生産関係だ、と簡単には言えない状況が当時の日本には有った訳です。

日本では信長、秀吉時代の、堺、徳川時代の江戸・大阪・京都の商人のように、商業資本は古くから相当の力を持っていましたが、産業資本の発展が弱く、明治維新の当時には未だ資本主義的生産関係は殆ど成立していない状況でした。
しかし他方、封建的生産関係の矛盾は極めて激化していました。

封建的土地所有者(将軍、大名)の力は、は農民一揆に揺さぶられていたし、経済的破綻によって大商人から莫大な借金をしている状況で、相対的に低下していました。
同時に、黒船に見られるように、外国からの「通商要求」に対して、武装集団としての無力もさらけ出してしまいました。
その反面、非支配層の自主性・自発性は高まっており、かっては厳しく押さえつけられていた「天下のご正道」に対する批判も公然化しており、しかも幕府はそれを押さえつけるだけの力はすでに無く、世情は騒然としていました。

こう言う中で、薩長を中心とした勢力によって明治新政府が樹立される訳ですが、この政治的上部構造は、その成立の当初において、未だ自己のよって立つべき経済的土台を持っていませんでした。
その成立以後に、自らの力でその政治的土台、資本主義的生産関係を作り出して行かなければならなかったのです。
その過程での「女工哀史」であり、「ああ野麦峠」で有った訳です。

未 だその上に立つべき土台が無いのに政治的上部構造が出来た、と言うのは「標準理論」としてはおかしいのですが、しかし上記のように封建的生産関係の矛盾が 極度に高まっており、しかも資本主義的生産関係が未熟な状況で、これを形成することによって、この矛盾を解決すると言う道が、幕藩体制という古い上部構造 によって妨げられていたと言う状況の下では、先ずこの古い政治的上部構造が取り除かれる必要が有り、そのことによって始めて資本主義的生産関係を形成する 有利な条件が作り出されたのです。

このように、場合によって政治的上部構造の成立が土台の形成に先行することも有りうる訳です。
もっともこのことが当の新政府の指導部に認識されていた訳ではなく、ともかくこのままではやっていけない、と言う認識だけは有った訳で、いわゆる「御一新」の中身は、その進行の中で決定されて行くのです。
西郷隆盛などはその進行について行けなかった、いわば落伍者であった訳です。


2005年の年頭に当たって、呑んだり食ったり話したり.........、

大晦日の夜を、日本酒とシャブリを呑みながら、鮭の 簸ずナマス(氷頭なます、ひずなます) と、鮭とイクラの親子漬け 等を突っついています。
(アッ、貧乏な私は、いつもこんな贅沢をしている訳では有りません、普段の酒の肴はイカの塩辛が有ればそれでもう充分です。少し贅沢を言わせて貰えば、夏はホヤ、冬はナマコ等が有ればもう言うこと無しです。)

横から家内から声が掛かりました。
「それ(ひずなます)って、何のさかな?」
そこで、思慮深い私は深い思索におちいりました。
ひず は勿論、鮭の鼻っ面を薄くスライスしたものです。

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